ブログ “太陽凝視を行っている鍼灸師の話”について
太陽凝視を行っている鍼灸師の話
http://blogs.dion.ne.jp/tuyukusanotuyu/
一本目のブログ、Kellyさんとの会話です。
その内容は、自分が追い求めてきた自分自身の存在の意義……
生きていることはどういうことなのか?
何の目的があるのか?
神ってなんなのか?
霊ってなんなのか?
なぜ人は、幸せを追い求め、そのために、良いこともしたり、悪いこともしたりするのか?
…etc
…そんなことを子供のころから考え、そして、子供のころから思ったことが、自分のオーラの発振、発信になり、
それによる霊縁、
(太陽凝視を教えてくれたKさん、ローム太霊、S会=紫光会、ダキニホンテン、その他さまざまな、“上”の霊的存在による縁)と、
霊的干渉、
(認識の拡大のために通信を受けたり、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑により、さまざまな体験を試練として与えられたり)があり、
また、そこには、18~33歳まで、主に霊眼による霊体験や、霊能力の発現がありました。
それらの体験をして、そのときどきに考え続け、今でも考え続け…そこから得られた認識(悟り、幸取=さとり)を、会話形式で文章にしたためたものです。
2005年10月から始まり、2008年1月15日に完結しています。
このブログは、たま出版から刊行されます。
(全部で七冊になります。 現在、<1> <2> <3> <4> <5>が発売されています)
☀ このブログの削除のお知らせ ☀
2005年10月から始まり、2008年1月に完結した“Kellyさんとの会話”ですが、この文章の大半はすでに出版されており、その部分は削除もさせてもらいました。
それでこのブログ(LOVELOG)はプロバイダー依存のブログです。 私事ですが、近々プロバイダーを変更するので、このブログは下記の理由で、2011年10月中旬ごろに、すべて削除させてもらうこととさせてもらいます。 なお、出版されていない文章、それは<6><7>になる予定なのですが、(出版にかかわる)様々な大人の事情があり、出版を見合わせております。
そしてもうひとつの理由としては……。
アタシ自身の三十年以上(2014年で四十年目になりました)の“行”としての太陽凝視、電気行、そして人生における因縁を贖って(あがなって)きた事などによる認識(悟り、幸取=さとり)を述べてきたこの文章の役割は、<1>~<5>までの出版で、大体、終えたと思います。
それは、今の地球人の認識の低さを指摘し、さらに、“創造”の“主(ヌシ)”の計画である、今後=アセンション後に自分たちが移行す るには、自分の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)、自分の思想、それは認識(悟り、幸取=さとり)、価値観、幸福感、これらを自 分自身がどう扱うのか…これらのことをも含めて作った文章です。
そして今、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔 の傀儡(かいらい、くぐつ)の人たちを信じる人、その人たちが行っている“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの情報を引用して吹聴した り、ただ甘い(亜、魔、出ずる、泉)夢を見させて商売をしている人間の言うことを、なんとなくそんなものなんだと思っている人が多すぎる。
これは、悪魔のささやきは甘いものだということすら分かっていない人が多いことを示しており、さらに“日月神示”春の巻 第二帖には以下のように述べられているので引用させてもらいます。
“特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。九分通りしくじるのぢゃ。
太陽の光集めること知っているであらうが。
神の理(ミチ)をよりよく、より高く集める理(ミチ)がマコトの信仰であるぞ。理(ミチ)であるぞ。
世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。悪かみかかりに迷ふでないぞ。
サニワせよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。”
この文の後半の“世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワせよ。” で、示されているとおり、これからダメになるこの事象には、(今もそうですが)低い憑依現象が多すぎるし、何が低くて何が高いのか、それは心霊現象でも宇 宙人からのメッセージでもチャネラーのメッセージでも、それらの内容は人を誑かす(たぶらかす)ものなのか、あるいは“上”が必要にせまられて起こしてい る現象なのか。 この判断が出来ない人が多い。
(誑かす(たぶらかす)(言葉=発振、発信が狂う。 狂うは、 三つのオーラの向って左=その人の右、砌(みぎり)(事象の“創造))
またそれは、ひとことで言えば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からか、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)からなのか。
これを見抜くためのことをも書いたつもりですが、それすら理解できていない人が多い。 要は、大半の人は霊的に低すぎ(“一”=智性=1番 目のオーラが小さい、たいした“行”をしていないから)、今後=アセンション後の“創造”を担うべき認識を持っていないということですが、本を出版してか ら幾人かの方たちと直接お会いしたり、電話をいただいたり、メールのやり取りをさせていただいたりして感じた感想でもありますし、これも<6><7>の出 版を見合わせている理由です。
それで、もし、<6><7>の文章(“行”の意味と意義(肉体組織の結晶化)、現地球人の進化の順番(腹から胸、自我から“慈悲” と“慈愛”、マニピューラチャクラからアナハタチャクラ)、 そして人(日止、霊止)の存在の意味と意義)で、自らの認識を高めていきたいと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
その部分(思惑と顕現~エピローグ)は、出版のための原稿の整理はできておりますので、これを読みになりたい方は、★問い合わせ(メールフォーム)よりご連絡ください。
添付ファイルをお送りするなどして対応させていただきます。
以上、あしからずご了承ください。 ○○○大先生=児玉登
“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話
http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/
“続”は、2008年3月15日より始まりました。
Kellyさんとの会話 で、説明が足りなかったことや、中途半端に終わってしまった“日月神示”の解釈が中心です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
http://tuyukusanotuyu.hatenablog.jp/
“総括編”を、2016年10月3日に立ち上げました。
上記のブログ、それぞれで述べてきたことの総括を簡単に述べていくつもりです。
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上記四本のブログは、四十年以上(2017年で四十四年目になりました)、長時間の太陽凝視)と、鍼、灸、マッサージ治療を生業としながら、 考え続け感じて来た事を述べています。
(考え続けることは息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)となり、自分の霊的成長度より“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の通信を受けることにつながる、そうして新たな認識(悟り、幸取=さとり)を獲得していくものです)
生命現象が、生体内電流で行われている事。
生体内電流の現象と、気と、オーラは、ある意味同義である事。
生体内電流の現象は、経絡(ツボの流れ)である事。
生体内電流が心(靈)の現象とある意味、同義である事。
(電流が情報を持っている事に由来する)
心が 霊的な事と同義である事。
医学が物質のみの観察で、生体内電流という視点で、人を観ていない事。
生体内電流が、神経系で身体磁場を構成し、オーラとなり、
肉体と心の創造に関わる事。
生体内電流が身体内組織で増幅され、
(チャクラ)
心の在り方で、
(アナハタチャクラ=胸のチャクラ=愛のチャクラ)
良い発振、発信が、出来る事。
オーラの発振が観測され得るあらゆる事象(自分自身をも含む)に、
影響を与える事。
観測され得るあらゆる事象のオーラの発振を、心の在り方で受信を選択し、
心と体で増幅し、
発振 発信し、そして心と肉体、自身の周囲の場(フィールド)を、構成していく事。
オーラの拡大と高振動化が、
真の人の進化であり、
神性の顕現に結びつき、
それを真に学習する為に、ある意味、
不幸な死や病気等、醜い事象がある事。
人の真の進化と思える、
オーラの拡大と高振動化が、
物質世界=三次元・・・現津(あきつ)=観察され得る事象の完成と同義である事。
生体内電流の振動という視点で、
人の進化にとって良くない事、
進化の方向に向かわない具体的な例、
不幸な死、病気=夭折。
幸福の真の意味である神格化に対する、霊的に幼いままの死。
それは、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の発現になる事
それらに関わる因縁 霊的干渉…等。
それらを活性化させていく人の思い=低い心の発現・・・目下(めした)の思いのオーラの発信。
それは、自分自身の考え方、生活の在り方、生きていく事の姿勢。
すべて人が真に良い方向に向かっていく事。
以上、その他にも、この文章はすべて、アタシの経験と考察による私見ですが、
人の進化の在り方と思える事等を、説明しています。
心霊
宇宙人
霊現象
UFO
そういう話に嫌悪感を感じる方は、
理解出来ないかもしれませんが、
少しでも興味を持たれたならば、
長い文章で恐縮ですが、お読みになって下さい。
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※ 以下の文章を追加します。(2008年7月2日)
最近、太陽凝視や霊的干渉等に付いて訊ねられる事も多くなってきました。
これは結構な事だと思います。
人(日止、霊止)の進化は、心(靈)を意識し出し、意識し始め、
現状、一般的にようやく霊を認識し始めた段階だと思います。
霊を認識しだした…その上で、因縁や醜い事象や事件や災害や戦争…etcに、
霊的干渉が有る事を見出して行き、
それを観察し、
そしてそこから自分が感じた認識(悟り、幸取=さとり)として、
結果、自分の在り方を強く意識し、
(“観自在” 自省(胸の磁性“十”)の“行” “直日(なおひ)”)
段々心(靈)が“上”に向かい、
(“慈悲”と“慈愛”)
そして、神格化に結びついて行く…
それが、
“太陽凝視を行っている鍼灸師の話”の総括の一部でも有ります。
しかし、現時点、
低い功名心で、只、目立ちたいとか自分を褒めそやしたいとか、
自我の肥大による心(靈)の動きのサイト…
太陽凝視やアセンションや心霊現象や宇宙人の来訪や“日月神示”の解釈などに対しても、
只々、そう言う低い心(靈)の発現由来の解釈が多く、
その下らない一例が、
テレビの興味本位の番組作り…霊能力バラエティや、只々現象だけを紹介して騒いだりする。
そう言う類のものの影響で、アタシのサイトに対してもそう言う見方しかされていない人が多く、…それは、今まで色々質問を受けましたが、
少数列挙すれば、
“太陽凝視にはどんなご利益がありますか?”
“先生の太陽凝視は何秒ですか?”
“犬が大好きで飼っていますが、私の主護霊は犬ですか?”
…とか、
自分が乗り越えなければいけないから与えられている試練に対し、
その事も何回も書いてはいるのですが、
“因縁から逃れるのはどうしたらいいのですか?” …とか、
まるで、ご利益で人を釣る現世利益の形骸の商売宗教のような事を求められたり、
又、
チャクラに対し、それは人(日止、霊止)の霊的成長の為のものであり、
それは肉体内の生体内電流と磁性の現象であり、
その解説も沢山したのですが…
“先生はチャクラをご存知ですか?”…とか…
あまりにも程度の低い質問ばかり…それは、アタシのブログのタイトルしか見ていない……そう感じましたので、
情けない事ではありますが、この文章を追加する事としました。
特に太陽凝視に関しては、
“太陽凝視”で検索し、すべて太陽凝視は同じだと思う。
これも、人(日止、霊止)の進化程度=霊的成長度により、解釈がまちまちになる。
認識の程度の低い人は=霊的成長度の低い人は、
何を観ても、程度の低い解釈しかしない。
その事も強く伝えたい事では有ったのですが、大多数の方がまったくその事を、読み取っていらっしゃらない。
特に、太陽凝視に関し、
“日月神示”の、 春の巻 第二帖の言葉を引用すれば、
“誰でも霊かかりであるぞ。
石でも木でも土でも霊かかりぞ。
これは一般かみかかりであるぞ、
特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。
九分通りしくじるのぢゃ。
太陽の光集めること知っているであらうが。”
この一文の前の言葉として、
“自分のためばかりで祈れば迷信、
われよしの下の下ぞ。”
“われよし”…これは、低い心(靈)の発現の自己奉仕者の事でも有り、
それは、時期=アセンションが迫っているからこそ、
自己奉仕者の創造の程度の低さを示さなくてはいけない事でもあり、
そして、
程度の低い解釈のサイトが多くなる事も示しており、
低い自己奉仕者の霊能力者が活躍する事も示しており、
それは以下の言葉に示されています。
“世、迫って、
霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。
悪かみかかりに迷ふでないぞ。”
…ですから、
自我の確立=固定化の段階の心(靈)の発現、低い功名心と低い自尊心、
それに問題が有る事を示す言葉でもあり、
その事を理解する事も、今後=アセンション後の世界の創造に、関わる事なのですが、それを理解していらっしゃる方はごく少数でしかない。
そして、今、多くなってきた程度の低い太陽凝視…
太陽凝視は不食の為に行うとか、
朝日や夕日の太陽凝視だけ…とか、
それは、“九分通りしくじるのぢゃ。”でもあり、
そして、
アセンションを、自分たちの都合の良い物に思ってしまう。
その一例は、“日月神示”内の表現、
“身魂掃除”や“身魂磨き”の解釈を、
部屋の片付けとか掃除とか部屋の鏡を磨くとか、そんな程度の事にしてしまい、
そしてそれを、ネット上に広め、大多数の人の、太陽凝視やアセンションや霊的成長の概念を、とてつもなく低いものにしてしまう。
それは、人(日止、霊止)の進化を阻む、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、思惑そのものだと思います。
アタシが現時点、34年半行ってきた太陽凝視は、
低い功名心と自尊心…そう言う動機のものでは無く、自分の生き方を真剣に求め、そして、何回も倒れ、様々な苦難に遭遇し、そのときどき、自分の在り方を考え、その上で行ってきた事でも有り、そう言う低い心(靈)の動きのサイトと同一視されては困ります。
従って、疑問があり、何かお訊ねになりたいのであれば、基本的には答えたいと思っていますが、今、列挙した、程度の低い心(靈)の発現で、太陽凝視や霊的な能力や心霊現象やアセンション等に対し、低い解釈をしてそれを広めたい…そう言うサイト。
アタシ自身は、アタシの太陽凝視や霊能力等に対し、そんな考えを持っているのでは無く、ブログを始めた動機は、太陽凝視や霊に対する認識、特に主護霊に対する一般の認識が、あまりにも低いからでもあり、
よって、低い功名心や低い自尊心由来の物の見方をしておりません。
ですから、質問をされる方は、アタシの意図を理解してから、それはせめて、ブログを読んでからお訊ねになってください。
それが又、本当の事を知りたいと思う姿勢でもあると思いますし、
質問をするには質問をする資格も必要である…興味本位の質問はお断りしたいと言う事でもあります。
以下、
“日月神示”春の巻 第二帖の全文を紹介しておきます。
↓
“カミヒトと申すのは、
神の弥栄のため、
世の弥栄のため祈り、
実践する人のことであるぞ。
神のため祈れば神となり、
世のため祈れば世と一体となるのぢゃ。
自分のためばかりで祈れば迷信、
われよしの下の下ぞ。
誰でも霊かかりであるぞ。
石でも木でも土でも霊かかりぞ。
これは一般かみかかりであるぞ、
特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。
九分通りしくじるのぢゃ。
太陽の光集めること知っているであらうが。
神の理(ミチ)をよりよく、
より高く集める理(ミチ)がマコトの信仰であるぞ。
理(ミチ)であるぞ。
世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。
悪かみかかりに迷ふでないぞ。
サニワせよ。
外はウソが多いぞ。
内の声ウソないぞ。
旧、元旦、
日月神。”