◆ 足の少陰腎経 (左右 27穴)

 

 

腎経の流れ

 

足の少陰腎経は、太陽膀胱経の脈を受け(至陰(しいん))、足底の中央部(湧泉)から始まり、内踝(くるぶし)の後ろ側を通り、下腿の内側を通るが、その際、足の太陰脾経の三陰交に交る

 その後、大腿の後内側を上行するが、膝窩の内廉、陰谷、後廉を上行して、督脉の長強で、左右交会する。

また、長強から、腹部の恥骨結合の上に出て、横骨より任脉に並行し、正中線(任脈)の外方五分を上行して、臍(神闕(しんけつ))の外方部(肓兪(こうゆ))から腹腔内に入り、下降して、任脈の関元、中極で膀胱を絡う。

(任脈の、関元中極は、足の三陰(足の太陰脾経、足の少陰腎経、足の厥陰肝経)と任脉の交会するところで、腹部刺鍼の際、特に重要なツボでもあり、中極は膀胱の募穴でもある)

 さらに、腎から上行し、上腹部諸穴(商曲、石関、陰都、通谷、幽門)を経て、肝臓を通り、横隔膜(“日月神示”表記の“戸”、マニピューラチャクラからアナハタチャクラへの関門)を貫き、肺に至り、そののち、気管に並びて上行し喉頭を循り(歩廊、神封、霊墟、神蔵、或中、兪府)、さらに上行し、舌根を挟んで任脉の廉泉に至る

 さらに、肺から分枝して、心臓をまとい(任脈の膻中(だんちゅう)  厥陰心包経の募穴 気会)、手の厥陰心包経(アナハタチャクラの外郭に相当)に交る。

 

私見

 

足の少陰腎経は、“五臓”(心・肺・脾・肝・腎)が心(靈)の構成にかかわるというアタシの説でいえば、腎=“恐れ”(本能)であり、“腎気”は、生命(生きる使命=存在理由)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程において最初に発現する心(靈)の動きでもあり、また“腎気”が無ければ、生命活動は営まれないと思われます。

ことに、足の少陰腎経の始まりの経穴でもある湧泉の意味は、湧くは、底から生じるの意味があり、泉は、出ずるの言霊(ことだま)を持ち、足底にあるのは、地磁気(“下”の振動)を感得しており、地の気を取り込んでいると思われます。

また、足の少陰腎経の井穴(せいけつ)でもある湧泉は、目上(めうえ)(智性(神性)の発現の部位)の気が下降している足の太陽膀胱経の至陰と結びついており、その点でも非常に意味深いものを感じます。

よって“腎気”は、生命活動の根源の気でもあり、その“腎気”の上昇は、肝=“いきり立つ心(奴と心)”→横隔膜(“日月神示”表記の“戸”、マニピューラチャクラからアナハタチャクラへの関門)→肺=“悲しみ”→心=“喜び”に至るものでもあり、その上昇過程は、肉体がコンデンサーの構造を持っているからこそ、コンデンサーが直列になっているからこそ、高い振動しか上昇し得ない。

また足の少陰腎経の終わりは、手の厥陰心包経に至り、アナハタチャクラの外郭(比較的単純な喜び)と関わると思います。

それは“腎気”は上昇すればするほど、高い心(靈)の発現に関わっていくものと思われますが、アナハタチャクラの深部には至っておらず、真に智性(神性)を発揮した人が感じる喜びとは意味合いが違うと思われます。

 

湧泉(ゆうせん)  

 

然谷(ねんこく)  

 

太谿(たいけい)  

 

大鐘(だいしょう)  

 

照海(しょうかい)  

 

水泉(すいせん)  

 

復溜(ふくりゅう)  

 

交信(こうしん)  

 

築賓(ちくひん)  

 

陰谷(いんこく)  

 

横骨(おうこつ)  

 

大赫(だいかく)  

 

気穴(きけつ)  

 

四満(しまん)  

 

中注(ちゅうちゅう)  

 

肓兪(こうゆ)  

 

商曲(しょうきょく)  

 

石関(せきかん)  

 

陰都(いんと)  

 

通谷(つうこく)  

 

幽門(ゆうもん)  

 

歩廊(ほろう)  

 

神封(しんぽう)  

 

霊墟(れいきょ)  

 

神蔵(しんぞう)  

 

或中(わくちゅう)  

 

兪府(ゆふ)

 

 

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