“五臓”(ごぞう)と、霊的干渉

 

 

“五臓”(心・肺・脾・肝・腎)は、東洋医学の古典では、心(靈)の動きに関わるものとされています。

 

東洋医学の古典の概念にアタシの私見を加え、以下に列挙します。

 

 心=“喜び”、愛(炁)の発現。

(本来は、心包も含むべきだと思います。心=“喜び”の発現には、目上(めうえ)と目下(めした)=大脳新皮質と旧皮質、古皮質の心(靈)の動きがあるからです)

愛(炁)は、すべての事象の“創造”の動機となり、人が持っている神の一要素でもあります。それは“思惑の顕現”=現象化と言う意味も含めます。

(すべての“創造”の根源の“元”と認識されうる“亜”が、出ずる、泉、と言う言霊(ことだま)です)

 

○ 肺=“悲しみ”、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現。

胸の磁性“十”に関わります。

 

 脾=“思う、憂う”。

“思う、憂う”は、肺=“悲しみ”と密接な関係があり、それはローム太霊が述べた、左往右往と右往左往に現れています。

人(日止、霊止)の心の動きの中の砌(みぎり)の極性と日足(ひたり)の極性が、心(靈)の動きに顕現するものであり、その仲でも左=日足(ひたり)は、神の思惑を理解していく心(靈)の動きでもあります。

 

 肝=“いきり立つ心(奴と心)”。

古典では、ただ、“怒り”とされていますが、それは正確な表記ではなく、事象を創造するエネルギーで、“創造”の“主(ヌシ)”の極性、砌(みぎり)の顕現と思われます。

 

● 腎=“恐れ”(本能)。

本能は、どんな下等な生物にでも発現しており、それは心の成長の=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程において、最初の心(靈)の発現と動きでもあります。

そしてそれは、肉体の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に於いて、本能よりも“上”の心の発現の“元”になっているものでもあります。

 

補足 心(靈)の進化過程(霊的成長)の“下”から“上”は、

本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動です。

それは、今までブログ内でも説明してきましたが、

心(靈)の反映が肉体であり、

人の霊的進化過程において(人生において)、さまざまな事象に遭遇し、

その時々に感情が動くものであり、

自分自身の霊的に高い部分(智性=神性)は、自分の感情=目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)の心(靈)の動きを観察するものです。

 

そして、自分たちの心(靈)の動きに感応共振する霊的干渉がある。

 

それには、

“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転、砌(みぎり)回りと、

“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転、日足(ひたり)回りがあります。

 

自分自身の心も、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)であり、自分の心(靈)に感応共振してくる=憑依霊や、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の霊的存在も、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)であるから、“上”と“下”の磁性に対し、“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転か、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転がある。

 

そして、自分自身の心(靈)には、“上”に向かう心と“下”に向かう心がある。

 

自分自身が自分に対し、良い方向性を考えれば、

肝=“いきり立つ心(奴と心)”から脾=“思う、憂う”そして“慈悲”と“慈愛”=肺=“悲しみ”と心=“喜び”という、荷電粒子の回転があり、

それは日足(ひたり)回りであることをKellyさんとの会話の後半で述べてきました。

 

その、日足(ひたり)回りの荷電粒子の回転に対し、

“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転、右回りは、

それぞれの回転方向が違うために起きる肉体内の電磁誘導があり、

それ自体、医者が診ても判断できない痛みになると思われます。

それは、器質的疾患ではなく、原因を特定できない。人を物質としか扱っていない視点の医療だから、ただ単に煩雑な症状名を名付けるだけに終わり、結果として鎮痛剤の処方や、神経ブロックを多用して、神経の導通を妨げ、その人の霊的成長をも妨げる結果になります。

 

はり(鍼)治療の効果は、圧電、誘電、電磁誘導であり、

心(靈)の動きは、経絡に現れ、経絡そのものが電磁誘導のラインである。

さらに、治療する人のオーラの影響を受ける。

 

そして、自分たちの心(靈)と体には、常に霊的干渉があり、その霊的干渉は電磁誘導を引き起こしており、その影響を古典の言葉では、“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)と言い表したと考えます。

 

さらに、肉体を持った心(靈)、対、肉体を持った心(靈)。

それは治療する人と治療を受ける人。

そこにも霊的干渉がある。良いカタチの電磁誘導と、良くないカタチの電磁誘導があります。

 

それは、心(靈)の動き(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))によるオーラの相互干渉があります。

余談ですが、“上”に向かう心の動きをしている最中の人が(“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”))、

自我から“下”に向かっている心の動きの人に治療を受け、

そのオーラの相互干渉の影響を受ければ、その人は霊的成長の方向性を見失う。自分に起きていることの意味を見出さない心(靈)の動きになりえます。

アタシ自身が幾度と無く、

甘い(亜、魔、出ずる、泉)言葉、見せ掛けの癒しを問題にしているのは、

自己奉仕者の心(靈)の動きの人が治療をすれば、

治療を受ける人の心(靈)はその影響を受けるもので、

それはその場限りの効果があったとしても、

治療を受けた人の心(靈)の方向性には悪影響を与えるものだからです。

それは真の意味での良いカタチの“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)では無いことを、再度、述べておきます。

 

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